寄稿「芸文短大での日々」 名誉教授 入野 賀和子
2021.10.18更新
今改めて思うことは、国際文化学科の開設と共に着任し、国際総合学科への改組完了を見届けて退職という、まさに学科の一時代を共に生きたということです。
国際文化学科開設の1年目は、もちろん学生は1年生しかいませんので、前期の授業は週3コマぐらいでした。その頃は全学科一緒に遠足に行ったりと、今では考えられないのどかさでした。
国際文化学科から国際総合学科への20年という年月は、時代とともに教育はどうあるべきかに向き合う日々でした。開設時の学科の理念を受け継ぎながら、時代の要請に応じ変わっていくべきではないか、学生達が求める魅力ある学科とは何か、常に突きつけられてきた課題でした。そして私たちが最終的に出した答えが改組でした。
新たな学科像へと具体化させていく過程は、手探りの連続でした。こういう経験は皆初めてで、いわば素人集団です。しかしこの素人集団の、前だけ見つめひたすら突き進んでいく、これが大きな原動力だったと思います。計画、申請書提出、認可まで2年間でやり遂げる、というのは今考えるとかなり無謀な試みのように思えますが、全員の恐れを知らぬ思いの強さで乗り越えました。
疾風怒濤の日々となるはずですが、お互いささいな発見をしては、おもしろがっていました。文科省へ相談に行ったときも、不慣れな私たちは、担当者を内心不安にさせたであろうほどの、場違いな初々しさでした。提出書発送の当日まで、手引書を読みながらの作業が続きました。文科省への分厚い提出書を中央郵便局に出しに行った、真夜中の少し湿気を帯びた静けさは今も忘れられません。
認可後の2年間で、国際文化学科最後の学生達を送り出し、国際総合学科最初の学生達の卒業を見届けました。私の芸文短大での日々は、ゆったり遊歩から始まり、最後の4年間は全力疾走でゴールとなりました。
大分県立芸術文化短期大学 名誉教授 入野 賀和子(国際総合学科)
(写真)ボランティアで「村あるき」のガイドをしています。
緑の羽織ものは、ガイドの制服です。