Epistula Vol.69「SONYのエンジェル」(2022年12月9日)
Epistula Vol.69(2022年12月9日付)掲載
日本にはベンチャーファンドを育てるエンジェル、すなわち起業家のスタートアップを助ける個人投資家がいないと言われている。それでは、SONY(創業時の名前は東京通信工業)にはエンジェルがいたのであろうか。先日亡くなられた元社長の出井さんによれば、主要なエンジェルは以下の3人だった。
前田多門は内務官僚として東京市の第3助役、朝日新聞論説委員、ニューヨークの日本文化会館館長、新潟県知事、文部大臣を務めた後に公職追放となったが、創業者の井深大の義父であったことから創業時に社長に就任した。
野村胡堂は学費が払えないため東大法学部中退後、報知新聞政治部に就職した。人物評論やレコード評論をしながら1931年から銭形平次捕物控を26年間に383編執筆した。井深大との近所付き合いからSONYに出資。レコード収集家としても有名で、1万枚のレコードを東京都に寄付したほか、死の直前にはソニー株1億円を使って学生の奨学金のため野村学芸財団を設立した。
盛田昭夫は阪大物理学科卒業後、戦争中に爆弾開発研究会で井深大と知り合う。ソニー入社後10年間盛田はソニーから給料をもらわず、盛田の生家である酒造家が会社ではなく個人の資産から盛田の生活費の面倒を見ていた。